クリスチャンの体験談
木島 涼子
私は、沖縄県豊見城市で生まれ育ちました。母親が教会に通っていたため、私も小さい頃から母親に連れられて毎週日曜日には教会に通い、子供のクラスに参加していました。そのため聖書のお話を聞いたり、皆で賛美歌を歌ったりということには慣れ親しんでいました。
しかし、県外の大学に進学し、勉強や遊びに忙しくなると、あまり教会に行かなくなりました。
そんな中、大学を卒業して社会人として働き始めると、仕事のプレッシャーや、挫折感から、私はうつ状態になってしまいました。
朝が来るのも辛いという心境の中で、私は聖書の中に何か希望があるのではないかと考え、昔から持っていた聖書を開き、励みになる言葉を探していました。しかし、聖書を読んでいてわからないところがたくさんありました。
そんな時、私はこの教会のクリスチャンの女性と友達になる機会がありました。彼女といろいろな話をしていて私が驚いたのは、彼女が行っている教会では牧師さんだけでなく、一般の信徒も非常によく聖書を読んで学んでおり、日常生活の中でもそれを実践しようと努力しているということでした。
彼女は私が聖書を読んでわからなかった部分についても教えてくれたり、親身になって一緒に考えてくれたりしました。個人的に聖書を学ぶ時間を作ってくれて、週に1回ほどのペースで私は彼女と聖書について学びました。
これまで、聖書について知識としては知っている部分もありましたが、自分の人生にとってどのような意味があるのかということについては、あまりわかっていませんでした。聖書が「このように生きるべき」というルールブックのように考えていたこともありました。
しかし、この教会で聖書を学び、また「互いに愛し合いなさい」という聖書の言葉を実践する中で、私は聖書が本当に神様から私へのラブレターであり、深い愛によって書かれたものだということがわかってきました。
聖書が私個人の人生に大きな意味があり、人生を変える力があるということがわかり、私は2008年にバプテスマを受け、クリスチャンになることができました。
今でも日々悩みはありますが、以前のような不安に押しつぶされるような人生ではなくなりました。愛されている安心感を得て、人を愛する人生を歩むことができるようにしてくださった神様に心から感謝しています。
Sanjay Shamdasani (サンジェイ・シャムダサニ)
私は、沖縄で育ったインド人です。私が3歳の時に両親と共にインドから沖縄に移住し、現在は沖縄市コザにて洋服店を営んでいます。インド人の妻と息子、娘の4人家族です。
私が27歳の時に、当時米軍に所属していた若い男性が私の洋服店でスーツを購入してくれた際に、この教会の礼拝に誘ってくれました。
私は、キリスト教系の学校を卒業していたので、両親はヒンズー教でしたが、キリスト教は身近なものではありました。ですが当時の私は、懐疑的で、教会はお金もうけのためのものだと思い、彼に礼拝に行くと返事をしておきながら、実際は行きませんでした。
彼が購入したスーツを引き取りに来た際に、なぜ礼拝に来なかったのかと再度聞かれたので、その時は忙しいと答えたところ、今度は、夕飯に誘われました。
彼と夕食を一緒にとりながら、私は、聖書に関して持っていた疑問を彼に質問しました。彼は当時21歳と言う若さだったにも関わらず、私の質問に的確に答えてくれて驚きました。夕食後、彼が再び礼拝に誘ってくれ、私は、教会がどんなところなのか興味を持ち、行くことになりました。
礼拝に行くと、知らない兄弟姉妹が自分の肩に手をかけ、ウェルカムしてくれさらにランチに家に招待までしてくれました。初めて会った人にそのような親しさでウェルカムする姿に驚きを覚えました。
また説教も私の心をうつものでした。聖書の勉強をしないかと誘ってもらい、勉強が始まりました。
自分は、クリスチャンだと思っていましたが、聖書のクリスチャンの定義を教えてもらい自分は神様との関係の築き方を知らないことに気づきました。また当時、私のせいで妻との喧嘩が絶えず、結婚関係に問題を抱えていたため、聖書を学べば、解決できるのではないかと希望を持ち始めました。
教会の兄弟姉妹たちが私の仕事のスケジュールに合わせて時間を作ってくれたことにも感動しました。神様からくる愛と犠牲を兄弟姉妹から感じました。
聖書の勉強をして3か月後、私は、洗礼を受けることができ、神様との新しい関係を喜びました。
クリスチャンになって大きく変わったのは、どのような状況でも神様が全てを支配しておられるという絶大な信頼があることです。イエスの十字架を通して罪の赦しが与えられていることを覚えた時に、初めて神様のために自分の人生を生きたいと思え、人生に生きる目的が与えられたのでした。